優しすぎる狼6


ヴォルグさんが、千堂選手に判定負けして、数日。
もう、試合のダメージは抜けたかな・・・
精神的なダメージは、どうだろう・・・
おしゃべり、したいな・・・


私は、もう、いてもたってもいられず、いそいそとミュールを履くと、
お隣りのインターフォンを押した。

しばらくして、かちり、と、鍵の開く音がし、
ヴォルグさんが顔を見せた。

バンソーコーは貼ってあるけど、割と、元気そうかも。

「あの、ヴォルグさん、こんばんは!
 ・・・試合のダメージ、抜けましたか?
 その・・・久し振りに、おしゃべりしたいな、なんて・・・」

言いながら、ふと、ヴォルグさんの後ろを見ると・・・
明るい・・・

「あれ・・・
 珍しいですね?
 電気、点けてるんですね、今日は・・・」

「・・・引っ越すのデ、荷物の、整理ヲ・・・」

俯いたヴォルグさんの、あまりにも小さな声に、私は思わず聞き返した。

「・・・え・・・
 ・・今、なん、て・・・
 よく、・・・聞こえなかっ・・・」

やばい。
泣き、そう・・・

「帰国、しまス・・・」

今度は、はっきりとそう、ヴォルグさんは言った。
イヤだ。そんな言葉、聞きたくない。

「・・・う、嘘、だあ・・・
 だって、だって、こないだ引っ越して来たばかりじゃないですか!
 な、なんで・・・
 なんで、突然・・・」

私は思わずヴォルグさんに詰め寄った。
ヴォルグさんの逞しい胸に、自分のひ弱な拳を叩きつける。

「突然じゃありませン・・・
 ボクは輸入ボクサーでス。
 2連敗したラ、商品価値、無イ。」

哀しそうな目で呟くヴォルグさん。

「っ!!
 商品だなんて・・・
 ヴォルグさんはモノじゃありませんっ・・・」

私の目からは、ぽろぽろと、涙が溢れていた。
その涙を、ヴォルグさんは優しく拭ってくれる。

「ね、ヴォルグさん。
 どうせ引っ越すんなら、私の家に引っ越しませんか?
 ね、そうしましょうよ。
 一緒に暮らしたら、絶対楽しいですよ!
 ほら、うちから、ジムに、通えば、いいですし!」

詰まりそうになる息を、どうにか吐き出して、懸命に話した。
・・・でも・・・

「ありがとウ、
 でも、それハ・・・出来ません・・・
 祖国に、病気の母、待ってマス・・・」

あぁ、そうだった。
ヴォルグさんの愛するお母さまが、故郷で待ってるんだった・・・
・・・バカだ、私・・・

「そ、それなら・・・
 一緒に、ロシアに連れて行って下さい!
 ほら、いつだったか、前に、約束、したじゃないですか。
 ヴォルグさんがロシアに帰る時には、
 私も、一緒に、連れて行ってくれる、って!」

「・・・ごめんネ、
 連れて行けなイ。
 、学校があル。
 の家族、日本に居ル。
 がロシアに来たら、皆、悲しム。」

優しく諭すように話すヴォルグさん。
でも、私は、ヴォルグさんにすがって、いやいや、と、首を横に振った。

「それでもっ・・・私、ヴォルグさんと一緒に居たいんです!
 ・・・ヴォルグさんは、気付いてなかったかも、しれませんけど!
 ・・・私・・・私っ、ヴォルグさんのことっ・・・」

いつの間にか、嗚咽混じりで、必死に訴える私。
でも、最後の一言を、ヴォルグさんは言わせてくれなかった。
ヴォルグさんの温かい人差し指が、私の唇を塞いだ。

「・・・
 ありがとウ。とっても嬉しイ。
 ・・・でも・・・
 それハ、言わないほうがイイ。
 ・・・明日、帰国しまス。
 今まで、本当に、ありがとウ、・・・」

寂しそうに笑うと、ヴォルグさんは、玄関を閉めた。

キイィーーガチャン・・・カチリ・・・

やたらと、音がうるさい。
なんだか、私とヴォルグさんを決定的に切り離そうとするような、
そんな、イヤな音。

私は、泣きながら、ヴォルグさんの玄関の前で、立ち尽くしていた。
ずっと、ずっと、立ち尽くしていた。



翌日。
私は朝からずっとヴォルグさんと一緒に行動した。
一緒にラムダさんを迎え、
一緒に音羽ジムに行き、
一緒に空港へ向かった。

ラムダさんも理解してくれているのか、
私がついて来てても、なんにも文句は言ってこない。
むしろ、時々、申し訳無い、といった目で私を見てくれる。

私は、ヴォルグさんの荷物を持ったり、
食べ物や飲み物を買ってきたり、
電車のチケットを買って渡したり。
一日中、ヴォルグさんと離れないように、お世話をした。
その様子が可笑しいのか、
時々、ヴォルグさんが笑ってくれる。
もう、ただその笑顔だけで、私は満足だった。
でも、その笑顔ともお別れだと思うと、とても、
胸が締め付けられるような気持ちだった。


そして、ついに、最後の時が来た。
搭乗手続きも終わり、搭乗口へと向かうのみ・・・

ラムダさんは、先に行ってる、と言い残し、
私に一礼し、去って行った。


ヴォルグさんとも、お別れ、か・・・

泣かない、と決めてたけど、どうしても、涙が溢れてしまう。
でも、ハンカチで無理矢理拭って、笑顔を作る。

「あの、ヴォルグさん・・・
 今まで、ありがとうございました。
 素敵な思い出、いっぱい・・・
 ヴォルグさんのファイト、私、絶対に忘れません。
 あと、それと・・・これ・・・」

私は、ヴォルグさんの手に、折りたたみ式の鏡を手渡した。
鏡面には、ふたりで撮ったプリクラを貼ってある。

「日本の古い神話に、
 『この鏡を私だと思って大事にして下さい』っていうお話があるんです。
 だから・・・
 ・・・私を、忘れないように・・・」

涙をこらえて、そう言うと、

「ありがとウ。大事にするヨ。」

ヴォルグさんは、また、哀しそうに笑った。
最後だから、とびきりの笑顔でお別れしたいな・・・

「ヴォルグさん、ひとつ、お願いしてもいいですか?」

「? どうゾ?」

「・・・笑って、下さい。
 とびっきりの笑顔、見せて下さい。」

ヴォルグさんは、少し、驚いた顔をして、そして、
・・・にっこりと笑ってくれた。

、良い子でス。
 に会えて、本当にボクはしあわせでしタ。
 本当にありがとウ。」

ヴォルグさんは、そう言いながら、私の手を握った。
ヴォルグさんの手は相変わらずあったかい。
私はたまらず、ヴォルグさんにしがみついた。
ヴォルグさんは少し戸惑ってたみたいだったけど、
優しく、私を抱き締めてくれた。
でも、それも、ほんのちょっとの時間だけ。

「・・・もう、行かなくてハ。」

ゆっくりと私から離れるヴォルグさん。

「ボク、のこと、絶対に忘れない。
 、・・・
 Я люблю тебя(ヤ リュブリュー ティビャ)」

一瞬、真剣な顔をして、ヴォルグさんが、一言だけ、ロシア語を言った。

・・・え?
な、なんて、言ったの・・・?

少し、戸惑った私を残して、
また、ヴォルグさんは笑って、
そして、私に背を向け、行ってしまった。

あぁ、ヴォルグさんが、行ってしまう。
ヴォルグさんが、いなくなってしまう・・・

目の前の、ヴォルグさんの背中が、涙で歪む。

そして、私の頭の中でこだまする、ヴォルグさんのロシア語。
やりゅぶりゅーてぃびゃ。
なんだったっけ、どこかで、聞いたことのある・・・

♪♪
Я люблю тебя!
Я люблю тебя!
Я люблю тебя!
♪♪

頭の中で、ある曲のワンフレーズが流れる。
そうだ、ヴォルグさんと車でお出かけした時、
流してたCDの・・・
ヴォルグさんも、口ずさんでくれた、あの曲の・・・

私の目から、また、とめどなく涙が流れてきた。

「愛してる、
 愛してる、
 愛してる」


ヴォルグさんは、最後に、私に、愛してる、って、言ってくれたんだ。


私はその場に崩れ落ちると、
場所柄も考えず、
ただただ、泣き続けた。


ヴォルグさんは、私に、愛してる、って言ってくれた。
そして、さようなら、とは言わなかった。
きっと、また、会えますよね?
そう、信じて、いいですか・・・




☆☆☆

切ない別れがきてしまいました。。。


↓宜しければ感想などどうぞ♪


【戻】